マザーグース
誰が姉さん殺したの?
上を見れば、青しかないような真っ青な空。
下を見れば、赤しかないような真っ赤な人。
ああ、赤い赤い服を着て死んでいる、真っ赤な人。
この人、誰だっけ? この人、誰だっけ?
ああ、僕の姉さんだ。僕の大好きな姉さんだ。
「こんにちは姉さん。どうして姉さんは赤いの?」
返事は返ってこない。そりゃそうだ、だって姉さん、死んでいる。
「誰が姉さん殺したの?」
返事は返ってこない。でも、姉さんが教えてくれた
「それは僕だね」
真っ赤な真っ赤な血で濡れた姉さんの柔らかい手が、僕の足を強く強く掴んでいる。
真っ赤な真っ赤な血で濡れた姉さんのかわいい瞳が、僕の顔を強く強く睨んでいる。
「僕のナイフで姉さんを殺したんだっけ」
右手には、姉さんの血で濡れたナイフ。左手には、姉さんの血で濡れた指輪。
ああ、思い出してきたよ。もう、姉さんに聞かなくても分かるよ。
姉さんを殺したのは僕。僕のナイフで姉さんを殺した。
「姉さんを殺した理由をしりたい?」
返事は返ってこない。ただ、いつまでも姉さんは手を放してくれない。睨みつけてくる。
赤い赤い死人の姉さん。赤い赤い大好きな姉さん。教えてあげる。
「それは簡単。誰でもわかる」
―――だって、姉さん、僕より別の男を愛したからだよ。
狂った弟は、笑いながら左手にある指輪を投げた。死人の姉は空ろに泣いていた。
(Who killed Cock Robin?
I,said the Sparrow,
With my bow and arrow,
I killed Cock Robin.
誰がこまどり殺したの?
それはわたし とすずめが言った
わたしの弓矢で
私が殺した
『誰がこまどり殺したの?』)
END
眼
ふらふらと危ない足取りで、一人の少女が裏通りの暗く狭い狭い路地を歩いていた。その路地は電柱が立てられるほど広くはないもんだから電気灯なんて一つもなくて、左右はブロック塀の一本道。唯一少女が持った懐中電灯が足元をうっすらと照らしている。
「青い眼はきれい♪ 灰色の眼は陰気♪ 黒色の眼は腹黒♪ 鳶色目玉はおばけ♪」
楽しそうに懐中電灯を振り回して、陽気に少女は歌う。歌に合わせて足はあっちにふらふら、こっちにふらふら。
暗く狭い路地の中で、少女は踊って歌う。陽気に歌う。
「青い眼はきれい♪ 灰色の眼は陰気♪ 黒色の眼は腹黒♪ 鳶色目玉はおばけ♪」
繰り返しその言葉を使って、時には優しく。時には激しく。メロディーをコロコロ変えては、少女は歌って踊る。陽気に踊る。
「青い眼はきれい♪」
気ちがい少女に、とっても優しい、青い眼のお兄さん。気ちがい少女に、とっても優しく、触れてくる。とっても優しく、舐めてくる。青い眼のきれいなお兄さん。
「灰色の眼は陰気♪」
気ちがい少女に、とっても冷たい灰色眼のお姉さん。気ちがい少女を、とっても冷たく、睨んでくる。とっても冷たく、見下ろしてくる。灰色眼の陰気なお姉さん。
「黒色の眼は腹黒♪」
気ちがい少女に、とっても意地悪、黒色眼のおじさん。気ちがい少女に、とっても意地悪、何もくれない。とっても意地悪、全部盗ってしまう。黒色眼の腹黒なおじさん。
「鳶色目玉はおばけ♪」
気ちがい少女を、とっても愛してくれる、鳶色目玉のおばけさん。気ちがい少女に、とっても愛をくれる。とってもとっても愛をくれる。鳶色目玉の幻おばけさん。
暗く狭い一本道の路地の先には、光が灯った少女の家がある。少女の居場所がない家がある。
青い眼、灰色の眼、黒色の眼が家から気ちがい少女を見つめていた。踊って歌っている少女を、優しく、冷たく、意地悪く、見つめていた。
6つの眼に絡めとられて、少女は踊りを、歌を、やめてしまう。気ちがい少女はただ家へと歩く。一秒でも遅く着くようにゆっくり、ゆっくり歩く。
「鳶色目玉はおばけ♪」
助けを呼ぶように、気ちがい少女は一回だけ歌った。灰色の眼の人は、その家にはもういない。虚しく陰気な歌は風に紛れていった。
(青い眼《め》はきれい、
灰色の眼は陰気、
黒い眼は腹黒、
鳶色《とびいろ》眼玉はおばァけ
『眼』)
END
おばあさんと三人の息子
「あるばあさんの話を知っているかい?」
暗い森の中、男にそう声を掛けられた。物盗りかと、腰に吊るしているナイフに手を伸ばせば男は笑って両手をあげた。
「おっと、俺は夜盗じゃない。ただの旅人さ。お兄さんが夜遅くに、こんな不気味な森を歩いているもんだから忠告に来たのさ」
「……不気味な森?」
「ああ、やっぱり知らないから歩けるんだね、お兄さんは。悪いことは言わない、俺の忠告をお聞き、そうしないと後悔するよ」
男は心から親切で言っているのだから茶かさないでお聞き、とお前置きして話し出した。
この森には、ばあさんと三人の息子が暮らしていたんだ。疑わしいかい?そうだね、どんなに日差しがあってもすき放題に伸びた草木が邪魔をして光を通さず、水は汚れ、食料になりそうなものもない、こんな森に人が住むわけがない。だけど、ばあさんはどうしてか、この森に三人の息子を引き連れて住み始めたんだ。
ばあさんと三人の息子はそれぞれ協力し合い、細々と暮らしていた。水も食料も限られた中での生活は本当に辛いものだったが、ばあさんは幸せだった。ばあさんはね。だが、三人の息子は夢も希望もないような、今を生きるのに精一杯な生活に嫌気が差していた、想像してごらんよ、娯楽も女も何もない。いるのは、ばあさんと役に立たない木々ばかり。若い者だったら退屈で死にたくなるだろう?だからだろうか、ばあさんの息子の一人は首を吊って死んだんだ。遺書も残されていて「退屈な世界にグッバイッ!!」と、一行そう書かれていた。完全な自殺だった。だが、ばあさんは信じなかった、こんな楽しい生活が退屈なわけがない!愛すべき息子たちと一緒に生活できるこの世界が退屈なわけがない!と怒り狂ったように叫び、絶対に信じなかった。だけれど、心の底では認めていたのかねえ、ばあさんは息子が自殺した日から残った二人の息子を離さないようになった。何処に行くにも、何をするにも許可が要り。行動は制限された。いくら母親だといえ、そんなのはやりすぎだ。残った二人の息子は、ばあさんの行き過ぎた束縛に耐え切れず逃げ出した。
当然、息子たちを監視していたばあさんはすぐに気付き、連れ戻そうと追ってきた。
老いた者と若い者との追いかけっこだ、勝負は決まっている。
だが気が焦りすぎたのか、一人の息子が底なし沼に足を滑らせちまった、ずぷずぷと身体が沈んでいき一人では抜け出せそうにない。
沈みそうな息子は、一緒に逃げてきた息子に救いの手を伸ばした。助け出すには時間が掛かる。後ろからはばあさんが自分たちを捕まえようと走ってきている。
一秒でも惜しい中で、息子は血を分けた兄弟に助けの手を伸ばした。やはり生まれたときから一緒にいた兄弟だ、見捨てることはできない。力いっぱい全身を使って兄弟を助けようと引っ張った。
沼に落ちた息子の身体には水分を含んだ重い泥がたくさんついていたからそりゃー重かっただろう、けれど少しずつ少しずつ肩が見え、手が見え、腰が見え、あと少しで沼から抜ける!というところで後ろからばあさんの叫び声が聞こえた。振り向けば、遠くにいたはずの母が、その鬼のような形相がはっきりと見られるほど近くに迫っていた。息子たちは焦った、捕まったらもう逃げられるチャンスがないかもしれない。だがまだ沼から抜けるには時間が掛かる。きっと捕まってしまう。二人の息子は戦慄した。そして一人の息子は決断する。血を分けたこの兄弟を見捨てようと。
そして、息子は兄弟の手を放したのだ。
きっと息子は今でも覚えているだろうね、手を放されてまた沼に沈んでいく、漠然とした兄弟の表情を。
そうして彼だけ母から逃げ出せることができた。沼に落ちてしまった兄弟はどうなったのだろうか、それは分からないが息子が逃げる中、振り向いた沼には兄弟の姿はなかった。ただ少し泥沼が波打っていた、まるで何かを飲み込んだかのように。
「さて、忠告はココからだ。これは俺の作り話じゃない、この話に登場するばあさんは実際に生きていて、まだこの森で生活している」
三人の息子を失って、ばあさんは気が狂っちまったのか、お前さんのような若い男を捕まえるようになった。たかが老いたばあさんと思っちゃいけない。ばあさんは、自分のとこから去ってしまった三人の息子を取り戻そうとそれだけに必死でな、捕まえるためなら殺すことも厭わない。これは忠告だ、この森を通るときは用心するこった。老人にあっても気を抜くな、そいつは必ずお前を捕まえようとさまざまな手段に出るだろう。銃か、刃物か、それとも別のものか。生きていたければこの森から早々に立ち去ることだ。
語り終えて、男はふらりと動き出す。
先ほどまで雄弁だった唇は固く閉じ、木々から微かに漏れる月の光のせいか、その顔は全体的に青白くみえた。
空は先ほどよりもますます暗くなり、もう足元さえはっきりと見えない。だが、男だけは、まるで光っているかのようにはっきりと形が分かる。男はふらふらと、不気味な森を歩きながら、ふと後ろを振り向いて、こう言った。
「続きを聞きたいかい」
「……続き?」
「そう、続きを。唯一、ばあさんの元から逃げ出すことのできた男の話」
「……どうしてそんなことを、僕に?」
「だって聞きたいんだろう?折角俺が忠告したのに、この森から逃げ出そうとしないのは続きが気になるからだろう?」
男は笑って戻ってくると、唇を軽く開いた。
男はね、兄ちゃん。母の元から逃げ出せたはいいが、森からは逃げ出せなかったんだ。何日も、何年もこの森の中を彷徨っているんだよ。今、この瞬間もね。
だが不思議なことに母に遭遇することはなかった、会うことができるは、母に殺される哀れな男たちだけ。
男と、否俺と会った若い男は必ず母に息子と間違われ殺された。哀れと思い忠告してからも変わらない。
老婆と青年の殺し合いだというのに、どうして老婆が勝つのだろうね。それだけ母が異常な執念をもっているのだろうか。
何年も森を彷徨って、話し相手は死に行く男。つまらない毎日だ。こんなことなら逃げ出さなければよかった、と今は思っているよ。
そうすれば、母の愛の世界で細々と幸せに暮らせたのに。
羨ましいよ、兄ちゃん。
母に会うことができて。俺はどうしてか会えないんだ。羨ましい。
僕の代わりに、母に十分愛されておくれ。
死ぬほどに。
ざくりと草を踏む足音が聞こえた。
「お前は、ジェリイ?ジェムス?それともジョン?」
老いた女の声だ。興奮に踊っている声だ。
もう、目の前に男はいなかった。目など離していないのに、男は忽然と姿を消していた。
変わりに老婆が笑顔で、斧を振り上げていた。
(ひとりのおばあさんと三人のむすこ、
ジェリイ、ジェムス、それにまたジョンよ。
ジェリイは首くくった。ジェムスはおぼれた。
ジョンはどこかへいなくなってしまった。
だァれもみつけたものがない。
三人のむすこがみんなしんでしまった。
ジェリイ、ジェムス、それにまたジョンよ。
『おばあさんとむすこ』)
END