寂しがり屋な貴方に

寂しがり屋な貴方に協力を

 生徒会委員になると、放課後は大体何かの行事を準備や、プリントの整理、教師や生徒からの要望や相談に時間を費やして自分だけの時間を持つことは少ない。それは役職にもよるけれど大体皆、同じではないだろうか。ただ私の場合忙しい生徒会委員の中でも二番目に忙しい「福会長」という肩書きを持っているだけだ。
 毎日、毎日、嫌になるほど仕事を押し付けられ、膨大な仕事の山に眩暈さえしてくる。
 一応、忍耐だけは人よりあるはずだと自負していたが、それもそろそろ限界に近い、あんな面倒なこと毎日していられない。なのに、私より、誰よりも忙しい「会長」が淡々と文句一つ零さず仕事をこなし、なおかつ運動系の部活に出る余裕もあると聞くとつい意味のない意地が出て文句は言えず、結局限界だと思いつつ仕事をこなしている。
「……あと、4枚…………3、枚」
 すばやく書類に載っている文章に目を通し、確認していく。11月は文化祭があり生徒会の仕事が多い月だ。今も各クラスでやる催し物の許可書類に不備がないか、ルール違反がないか確認の作業をしている。どのクラスもちゃんと書いてきたようで手間がかからず確認だけで終わりそうだ。
「2枚…………ラスト1枚、終了!!」
 ふうとため息をついて、ずっと握り締めていたペンを置く。座りっぱなしで今日の分の仕事をした為少し身体が固くなって痛い。ゆっくりと身体をほぐすように背伸びする。
 これで、もう仕事はない。いつもより早く終わったかな。あとはこの書類の束たちを会長に渡すだけだ。
 暫く身体を休ませてから、私はさっさと帰ろうと会長に会いに生徒会室に向かった。
 私はあまり生徒会室が好きではなく、もっぱら仕事は教室で終わらせることが多い、なぜなら生徒会室は教師や生徒が仕事を押し付けにくる最悪な場所だからだ。あんなところで仕事をしていたら下校時刻になっても絶対帰れないに決まっている。
 人気投票で選ばれた「会長の手塚国光」はその肩書きの為生徒会室を離れることが出来ず、いつも仕事が私たちの二倍以上も増えてしまうのだが、それでも部活に出る時間を作ることができるのだから本当に凄い男だと思う、仕事も速いし完璧だ。人気投票というあまり良い選び方ではなかったが、手塚を会長に選んだ生徒の目はかなり確かだろう。私を副会長に選んだのは許せないが。
 そんなことをつらつらと考えながら、いつの間にか辿り着いた生徒会室の扉をコンコンと叩く、中から「はい」と、よく響きそうな低い声が返ってきた。
「失礼します」
 一礼してから、生徒会会長の席に座っている男に近寄る。
 私の机や、ほかの委員の机もあるのだが、どれも空席だ。
誰も此処で仕事をしたがらないため、会長の机に積まれている仕事の束以外、物は何もない。
「文化祭の出し物の確認ですが、特に違反はないようです。最終確認お願いします」
 ただでさえ仕事は私たちの倍だというのに、最終確認もしなければならないのだから、色々と差し引いても生徒会会長の座は疲れるものでしかない。
 手塚が会長を断っていたら繰上げで私がなっていたと思うと正直ぞっとする。というか、中学生にこんなに仕事を押し付けてくる学校側に怒りが湧く。
 今度授業中にでも暴れてやろう。
「分かった、机に置いておいてくれ」
「……机、ですか……」
 何処に置けばいいのだ、と思うほど机の上には仕事の束、束、束。こんなに膨大な仕事を一人でやらされているのかと思うと同情する。
「その辺にでも置いておいてくれ。あとで確認しておく」
 置き場所に困っている私に、手塚は手を止め床を指差すとすぐに手を動かして、仕事に戻ってしまった。
 機械のように淡々と仕事をこなしていく男だが、本当に機械というわけではないのだから、その伏せられている顔はきっといつもの無表情だろうけど、疲れるに決まっている。
「あの、差し出がましいのですが、お手伝いしましょうか」
 正直仕事なんかもうやりたくなかったし、すぐにでも帰りたかったのだが、手塚を残して去ることがどうしてもできなかった。
 どうせ家に帰ったってテレビを見るだけだし手塚を手伝った方が有意義に過ごせるというものだ。
「いや、は疲れているだろう。それにこれは俺の仕事だから、俺が責任を持って終わらせるから―――」
「手塚くん! 仕事を頼まれてくれないかね! ……おや、姿をみないから帰ったと思っていたがくんもいたのか、すまないがこれ、宜しく頼むよ、できれば今日中に。では!」
 手塚の言葉を遮るように、ノックもなしに突然扉が開き、教師がズカズカと中に入ってきたと思ったら、重そうに抱えているプリントの山を私に押し付けて登場と同じように嵐のように去って行った。
 呆然と扉を見つめてしまう。
「…………」
「…………」
「……すまないが、手伝ってくれないか」
「……はい、勿論です」
 疲れたように顔に手を当てて少し考え込んでから、手塚は私に言った。私は苦笑いで答え、今まであまり使うことのなかった副会長の席に座る。
 椅子も机も新品のようにキレイだ。
 教師から渡されたプリントを机に置くと、ふと思い出した。
 筆記用具は教室に置いたままだ。これでは確認はできても手直しができない。
 戸惑っていると手塚が無言でペンを私の机に置いてくれた。
「! ……ありがとう」
 思わぬ優しさに驚いてつい敬語を忘れ、呟くように言う。手塚は顔を少し振って、すぐに仕事を再開した。
 言葉遣いについて、何のコメントもない。別に同じ三年なのだから敬語など使わなくてもいいと思う、けれど手塚には敬語を使わなくてはいけないような、そんな雰囲気があって、会長と副会長という関係もあり使ってきたが、手塚が敬語なしでも気にしないのなら、これからはやめようかな。
 敬語は礼儀の中で一番基本的で重要だが、見えない壁を作ってしまうのも確かだ。
 何だか手塚に興味を抱いた私は、彼と仲良くなるために敬語はやめようと決意しながら、仕事に取り掛かった。
「…………」
「…………」
 お互い無言のまま仕事を続ける。時々プリントを捲る音や自分たちの呼吸の音だけが微かに聞こえた。
 暫くそのままの状態だったが、ふと窓の外から聞こえた楽しそうな笑い声に手塚はピタリと手を止めた。手塚を観察しながら仕事をしていた私も、つられて手を止めて手塚の顔をちらりと見上げる。
 無表情のまま窓際をじっと見つめ、聞こえてくる声に耳を澄ましているようだった。
 この声は、誰だっただろうか。聞き覚えがある。
 私は耳を澄まし、声に意識を集中すると「菊丸」とその笑い声の主を呼ぶ別の声が聞こえて、その声が誰だったかを教えてくれた。
 ああ、あの笑い声は菊丸英二か。クラスメイトだったから聞き覚えがあるわけだ。
手塚はその笑い声が小さくなり、聞こえなくなっても未だ視線を窓へと向けていた。表情は変わらず無表情だというのに、その瞳は何だか見ていると心が切なくなるような、そんな気持ちにさせられる。
 何だろう、あの瞳。
「どうかした?」
 いつまでも窓を見つめていそうで、思わず声を掛けた。
 手塚ははっと私をみて頬を赤くしたように見えた、気がしたが次の瞬間には見慣れた無表情だった。
「何でもない。すまない、休んでしまった」
「いいよ、疲れているなら適度に休憩挟まないと。
それよりさっきの声って菊丸くんだよね、凄い笑い声、此処まで聞こえているなんて」
「ああ、後で注意しておこう。いつもあんな調子では迷惑だろうからな」
「そんなことないよ、聞いていて、関係ないのに楽しい気分になった」
「そうか……」
 なぜか手塚は笑って顔を手元に戻した。カリカリとペンが動く。
 私は今みた手塚の笑みに引っ掛かりを覚え、じっとその伏せられてしまった顔を見つめる。
 何だ、今の笑み。楽しそうに浮かべる笑みとは違う。まるで……そう、まるで諦めたみたいな笑み。どうしてそんな笑みを浮かべるのだ。  機械のような男だと思っていたのに、彼の表情には少なからず感情が浮かんでいるのだと、今日やっと気付く。ただ、あまりに変化に乏しい表情から感情を読み取れるのは、極限られた者や、私のように偶然大きな感情を浮かべたとき見たものだけだろう。
 思えば、さっきの横顔にだって感情が浮かんでいた、あの瞳は揺れていた。
 窓の外で楽しく笑い合っている仲間たちと一緒に笑い合えないこと、自分だけが違う場所にいること、そんな寂しさを手塚は感じて、心を声に出さない彼に代わって瞳が語っていたのだ、寂しいと。
 手塚は寂しいからあんな笑みを浮かべたのだ。
 今すぐにでも仲間たちの元へと行きたいだろうに仕事で雁字搦めがんじがらめ にされ拘束されている、この束が無くなるまで動くことは許されない。
 おそらく、それは毎日のように繰り返されたのだ、だから諦めたように笑った。
 毎日、声が聞こえるとテニスコートが見える窓を見つめ寂しく感じて。
 早くテニスがしたくて、早く仲間に会いたくて、けれど生徒会会長としての責任があって、だから手塚は淡々とけれど早く仕事をこなしてきたのだ。余裕なんてないに決まっている、手塚は目的のために頑張っていたに過ぎないのに。
 私は変な勘違いをしていた己を恥じ、そして年相応の彼の姿が酷く愛しく思った。
 彼は機械ではなく、ただの中学生だ。
 自分のことに一生懸命で仲間を大切に思う優しい同じ子供。
 けれど私たちは気付かなかった。彼の上辺だけしか見なかった、だから手塚はここに縛られている。寂しいだろうに、辛いだろうに、だからこそ手塚は目的のためにペンを動かしている。仕事を終わらせようと。
 私もペンを握りなおすと、己に与えられた仕事にみつめた。
彼を一秒でも早く、この生徒会室から解放させてあげたくて、今までの比ではないほど真剣に仕事に向きなおった。
 これだけが私にできる、彼への罪滅ぼしだった。




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