夢をみる。

記憶を無くしてから、私はある夢をみる

酷く心が痛い夢

苦しくて、悲しくて、憎くて。

毎夜続くその夢は、じわじわと私の心を蝕んでいく

夢の内容は、目覚めた瞬間散ってしまい

夢の中で感じていた感情と

少しの夢の欠片しか記憶に残っていない。

その数少ない欠片の中に必ず

「彼女」

がいた。

辛い夢の終わりには、必ず彼女が現れる

輪郭や姿さえもおぼろげで、声も聞こえない

けれど彼女が優しく、美しい心の持ち主だということを

私はなぜか知っていた。

彼女は、夢の中で悲しみに喘ぐ私を

優しく、とても優しく包み込んで癒してくる

きっと前の私が大好きな人。

そして今の私が大好きな人。

彼女の存在を感じれるからこそ、今の私は

夢が夢だと認識できる。夢にのまれることはない。

彼女の存在が、夢の中での唯一の安らぎだった。








絶望の世界 4

















母が、包丁を振り下ろす

私へと。

恐怖と絶望で、動くことができない

ただ、壊れたように涙を流す。


―――ああ、私は心の奥で信じていたの

母がまだ私を愛している、と。


もう一人の私が笑う

可笑しそうに、楽しそうに、嗤う

―――ありえない、だって現に今、私を殺そうとしている

私は愛されていない、と。




心は笑いながら泣いている

叫びは頭を駆け巡る

こんなとき、どんな顔をすればいいの
恐怖に引きつればいいの?
悲しみを叫べばいいの?
憎しみをぶつければいいの?
わからない。泣くことしかできない。
頭が、この事実についてこない

どうしよう、どうすればいいの

叫ぶ? 反撃する? どうする?


それとも絶望で死ねばいいの?


もう生を奪い、死を与える刃は目の前

振リ下ロサレル 殺サレル






―――――――ガギィンッッ!…………ボギッ







包丁は、私の足元近くの床に刺さり、勢いと衝撃であっさりと折れてしまった
母は呆然と、ただ呆然と壊れた包丁を見る。


私の身体は包丁に触れなかった。死は与えられることはなかった。

私は逃れたのだ、死から。
けれど逃れようと思っていなかった。
振り下ろされる刃から、恐怖で目を背けただけ
なのにどうして私の身体を刃は貫かないのだろう

暫く、私も母と同じように呆然と目の前の光景を見つめ
気付く。


私は、

私は無意識に、身体を動かし避けたのだ

生きるために。


「母さん……」

折れた包丁を見つめ座り込んでいる母に、恐るおそる声をかける。
母は、ゆっくりと私に振り向いて悲しそうに呟いた

……あんた、どうして避けたの」

「……」

何も言えない。分からないのだ
生きたいわけでも、死にたいわけでもなかった

ただ私は、無意識に避けてしまった、生きるために。

「あんたは死ぬべきなの、生きてちゃいけないの
あんたは疫病神よ、あんたがいるから母さん不幸になったのよ」

ポツリポツリと言葉をこぼし
残念そうに私の身体を見つめていた。
やがて母の感情は増していき、声を荒げていく
私はただ動けず、ずっとその変化を恐怖の中で見つめた。

「死んでよ、母さんの為に死になさいよ
あんたは死ななきゃいけないのよッッ!!!!!」


「きゃっ!」

ガンッと床を叩き、怒りに震える母
私は母の動き一つ一つに恐怖を感じ、怯えた悲鳴を上げてしまう。
母は私の小さな悲鳴を聞いて、楽しそうな顔をした

、ふふふ……あんたは死ぬのよ
大丈夫、母さんが殺してあげるから」

その顔と言葉を聞いて、身体が震えだす
母の顔は狂気に染まっていた

―――――狂ってる狂ってる狂ってる狂ってる狂ってる
狂ってる狂ってる狂ってる狂ってる狂ってる狂ってる



同じ言葉が、頭をリフレインする。

私はただ恐怖に震えた


……さあ、死になさい」

折れた包丁の刃の部分を母は掴み、再び手を持ち上げた
強く握ったのだろう、血が刃に伝って滴り落ちた
けれど母は、痛みをまったく感じていないような顔で 笑って、私に近づいてくる。
その笑いは狂気の微笑み。


―――――殺される殺される殺される殺される殺される
殺される殺される殺される殺される殺される殺される



本能が、私の身体の、どの部分よりも早く感じた
母は本気だ、私を本気で殺そうとしている。

私はこの世界に生きていたい、とあの日から思ったことはない
日々の辛さ、悲しさ、それを思えば死んだ方が楽だろう
けれど私は立ち上がる
近づいてくる母から逃げるため、立ち上がり体を走らす
これも無意識の行動?
いいや、私の意志で走り出している。


蹴られた体は悲鳴を上げる「動かすな」と
けれど私はどんなに痛くても、どんなに苦しくても足を動かす。
生きたいわけじゃない、死にたいわけじゃない
けれど私は生きるため、逃げている

今の私を支配しているのは

「恐怖」

ただそれだけ。



「きゃゃああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!!」



悲鳴を上げながら、母から逃げる
体が思うように動かない、それでも逃げる。


肉親の、母に感じるものはもはや、「恐怖」だけ
私が母に感じていた「愛」はニセモノ
「恐怖」それだけで消えてしまう疑似愛

親子の不滅の愛なんてない
壊れてしまえば、消え行くもの

ただただ、私はこの「恐怖」から、母から逃げたい
その思いだけが私を突き動かす。






階段を上り、右の部屋へ。
私の部屋、私の聖地、私が唯一安心できる場所。

後ろに迫る母に怯えながら
扉のドアノブを回し、部屋に入った
焦りながら、内側からしか開けれない鍵を閉める
たった数秒の出来事。けれど鍵を閉め終える瞬間も
今現在も、恐怖に心臓が煩く動く。

ガチャガチャ・・・・・・ガチャガガィガガキイガガァッン

数秒遅く着いた母は、狂ったようにドアノブを回し開けようとした
否、母は狂ってる

! 開けなさい、開けなさいよッッ
開けろろろろろろろおおおおおッッ!!!!!」



ガンガンガンガンガンガンガンガンッ……グサッグサッグサッグサッ


扉を叩いていた音が消え、代わりに壁を引き裂く音が聞こえ始めた

母が壁に刃物をつきたて、引き裂いている姿が
容易く想像でき、私はいつ壁を突き破り殺しにくるか
恐怖に涙を出しながら震え続けた

壁を突き破ることなんて出来はしないのに
私は、ただ壁に隔たれた、近くにいる母に怯える

「いやいやいや、怖い怖い怖い怖いィッ!
イヤアアアアアアアアアァァァァァァッッッッ!!!!!!!」



悲鳴を上げる、心はもうこの恐怖に耐えられない。

意識がもうろうとして、やがて深く引き込まれる




「開けろ開けろ開けろおぉっっ!
ははははっははっははは、殺してやるッ!! 殺してやるぅッ!!」





狂った母の声を聞きながら、

私は気を失った。






私の頬を伝った涙は、きっと



絶望の涙。






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